死後 高級な世界へ行く方法

性格や心

物質の世界では人の性格や心はなかなか分かりにくいと思いますので、例え話で少し説明したいと思います。


例えば例えば誰か困っている人がいて、その人を助けたとします。


凄く成長した人なら、困っている人を見付ければ、いつの間にか助けると思います。

人間は特に何も考えなくても、のどが渇けば水を飲むし、お腹が空いたら何かを食べるし、眠たくなれば眠ると思いますが、
それと似たような感じで、特に何も考えなくても困っている人がいれば助けるのが当たり前で、ついつい体が動いて、いつの間にか助けると思います。
※物質的な善悪と霊的な善悪は違いますし、普段は肉体の表面意識の影響が強いので、実際には様々ですが、あくまでも例え話です。

より高級な意識が助けたいという欲求に駆られ、その欲求を満たしているだけであって、本人は善い事をしたなどと気付きもしません。 ただ単に、自分のやりたい事を行っただけです。
これが一般的に性格の善い人なら、相手の役に立ちたいとか、困っている人の為になりたいから助けると思います。


これが一般の方なら、相手が可哀想だから、大変そうだから助けると思います。


しかし未熟な人の場合は、
自分が好かれたいから、自分が慕われたいから、自分が善い人だと想われたいから、ココで恩を売っておけば有利になるから、自分が徳を積みたいから、自分が天国に行きたいから、助けると思います。
それでいて、自分ではこんな事をしてあげた、こんなに奢ってあげた、こんなに優しく親切にしてあげた、と自分の事を善い人だと思い込んでしまいます。

こうした事を思っている時点で未熟ですし、見返りを求めながらどんなに自己犠牲をして善い事を行なっても 仏教でいう徳にはなりませんし、キリスト教でいう天に蓄える事にもなりませんし、善い霊的カルマになる事もありません。 ただ単に未熟な意識に振り回されただけであって、成長する事もありません。


例えのように物質的には「困っている人を助けた」という同じ事をしても、性格や心は全く違います。

無理に自己犠牲をして善い事を行なう前に、平気で他者の為に自己犠牲が出来るような意識に、成長する事の方が先ですし、大切です。

更に、物質的な善悪と霊的な善悪は違いますので、ただ単に物質的に困っている人を助ければ良いというものではありません。


大切な事は、自分や相手が 霊的な進歩向上に繋がるかどうか? です。

最近は、利他愛とか、感謝とか、徳を積みなさいとか、愛とか、綺麗な言葉をよく目にしますので実践されている方も多いと思いますが、

・自分や相手の霊的な進歩向上に繋がるのかどうか?
・見返りを求めた未熟な意識に振り回されているだけではないのか?
しっかりと考えて頂きたいと思います。


例えのように、

何も考えなくても相手の霊的な進歩向上の為には自分の犠牲など気にもせずに、ついつい協力してしまうような意識に成長する事がまず先です。


そこまで成長もしていないのに、無理に自己犠牲をして、自己満足で終わっては意識が成長する事がないので死後はそれに相応しい世界にしか行けません。
偽善.png